1927年アメリカから日本の子どもたちへ「友好人形が12000体以上
送られてきました。幼稚園や小学校では歓迎会を開いたり、日本から
は、返礼人形として「市松人形」をアメリカの子どもたちに58体ほど
送りました。ミス三重、ミス○○と名前をつけて・・・
ところが、1941年にアメリカと日本が戦争になると、これらの人形は
「敵のスパイだ」「仮面をきた畜生だ」などと、踏みつけられたり、つつ
きたおされてはかいされていきました。家にある「青い目の人形」は
広場へ集められて燃やされました。
「人形につみはない」と、こころある人は、人形を隠しました。学校の
倉庫の隅や、家の天井裏へ・・・
でも、隠したことがわかると罰せられるので、びくびくしながら戦争が
終わるのを耐えて頑張りました。
終戦になり、生き残った人々は、毎日の食べ物にも困る生活がつづき
、人形のことは、みんなの記憶から忘れ去られていきました。

学校の移転やリニューアルで、倉庫の掃除をしていた若い先生が倉
庫の隅から、薄汚れた人形を見つけましたが、何故こんな人形がある
のかわかりませんでした。
調べていくうちに、戦争中に難をのがれて隠された「青い目の人形」
のあわれな姿であることがわかりました。汚れた服や髪の毛をきれい
にしアメリカへ送りました。戦後40年が経っていました。
むかし、1927年〈昭和6年ころ〉人形を日本の子どもたちに送った 
シドニー・ギューリックさんのお孫さんから、右のような新しい「青い目
の人形」が送られてきました。21世紀の「青い目の人形」は平和の
使者として大切にされています。
戦争は、人の心までおかしくしてしまうのですね。

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