今年は大阪大空襲から72年たちました。あらためて【平和】を切望するものです。

今から半世紀以上前の戦争の時にタイムスリップして、
空襲の様子を作者の体験から描いたマンガ。
バクダンの中を逃げた一晩のことが描かれています。
戦争の恐ろしさが伝わってきます。
併せて、「戦火の中の子どもたち」を収録

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1945.3.13大阪の大空襲 頭上にショウイダンのふたが落 背負いこの赤ちゃんを落とす
太田川には、大やけどの死体が 米兵のポケットから一枚の写真が 地雷で足をなくした少女
犬の皮は兵士の毛皮に わが家の焼け跡に呆然と佇む 大陸に残された少女
大阪にも空しゅうがあったの???
子どもたちの感想から 松原市の小学校3.4年生  2002.7
3年生
・わたしは、話を聞いていてこわくなってきて
足がブルブルしていました。
 家のたたみの下やにわにあなをほって
その中ににげこむことなどはじめて知りました。
 ひとばん中、あんなちっちゃな子でも
にげまわってすごいなぁと思いました。
 けむりのにおいのするおにぎりや
ペンペン草のパンはおいしかったですか?
(3年女子
)
今の時代と昔(戦時)の時代をくらべたら、
心の中で昔(戦時)はたいへん
だったんだなと思った。
 黒い雨、かぞくが入れる穴がほってある、
ばくだんがふってくるなど・・・(3年男子)


・わたしがいちばんびっくりしたことは、あんなに
人が死んでいくなんて思いませんでした。
 ほんとうにあんなこと(空襲)が今おこったら
こわいです。
 えいぞうを見ただけなのにぞくぞくします。   
 あんなにも人が死んで、その中で竹村先生や
いもうと、おとうと、おかあさんが生きていたなん
てすごいです。
 あんなばくだんにあたったら、わたしも死んでい
ると思います。
 はじめて知ったことは、げんばくがあんなにも
こわいとは思いませんでした。(3年女子)
・はじめて知ったことは、大阪にそんなに
ばくだんがおちたことです。
 せんそうの時は、知らない人でも
たすけあうんだなと思いました。
 びっくりしたこともあります。それは、
こげくさいおにぎりをたべたことです。
 話をきいて、せんそうはおこってほしくないな
と思いました。(3年男子)

・お米のおにぎりがまっくろでけむりくさいのに
よく食べていられたと思います。
それに一日一こはきびしいと思います。
 1年の時、4クラスあったのにせんそうがおわっ
たら1クラスしかいなかったというのがすごいと思い
ました。(3年男子)

・わたしがはじめてしった事は、大阪に
ばくだんがいっぱいおちたことでした。
 家のゆかをめくったらあなが
ほってあったことです。
 夜10時ころおきて一夜中ばくだんの中を
走りまわっていたときいてびっくりしました。
 火やばくだんがそこらへん
にあってこわくなかったですか。
 もうこれから世界のせんそうがなく
なってほしいとねがっています。(3年女子)
・はらっぱにはえているざっ草をパンや
ビスケットにしたりするとは知らなかった。
 竹村先生は、1年のときにとってもくろうしたなと
おもいました。そしてよくいきのびたなぁ
とおもいました。(3年女子)
・なんでせんそうがあったんだろう、なんで
せんそうはだれがかんがえたんだろう。
と思いました。
 人がなくなっていくのがかなしくないのかな。
なんでおそろしいばくだんをつくったのかな
とわたしはおもいました。(3年女子)
・わたしのおじいちゃんも、せんそうのはなしを
してくれたけど、今日のはなしとは
ぜんぜんちがいました。
 せんそうのじたいと今のじだいはぜんぜんちがう、
せんそうってつらいんだなぁ−と思いました。
 わたしは、せんそうでいっぱいの人が
なくなってかわいそうだと思いました。(3年女子)
・わたしがふしぎに思っていることは、
なんでせんそうをして人をころすのかな
と思います。(3年女子)


・今日、お話をたくさん聞かせてもらいました。
すずしいランチルームでいすにすわって
スクリーンの中の戦争の写真やえを見て勉強
をしました。
 わたしのお母さんのお母さんは、実は6人か
8人きょうだいです。でもせんそうで4人か6人死んだ
ので今は2人しかのこっていません。
竹村先生の話とちがって、おばあちゃんはおいもの
かわを食べていたらしいです。
 お話の中のけむり玉のようなにおいのおにぎりが
なぜかすごくおいしそうに見えました。(3年女子)
・なんでせんそうがおきるの。
せんそうはなんのためにしてるの。
 アメリカとかアフガニスタンとかもうたいへん
ですね。せんそうの話こわいですね。
せんそうはもうやめてほしいです。
 日本もせんそうきてほしくないです。
ぼくはねがっています。せんそうはいつおわ
るのかな。
せんそうがきたとしてもぼくはぜったい
ほんきでにげます。
人がやけているところも(テレビで)見ました。
ぼくはそういうふうになりたくないです。
(3年男子)
・せんそうはこわいなあと思いました。
今のような食べものがないし、ジュース
もなかったらわたしは生きていけない。
 今は、夜はずっとねてられるけどせんそうをして
いるとずっとねているひまもないと思いました。
 でも、なんで日本とアメリカ(当時)が
せんそうをしたのかなと思いました。 (3年女子)
・せんそうは、人間をころすためにある。
たべるものもない、きるものもなくなるし、
家や家族もいなくなる。
 せんそうはなんのためにおこるのか・・・
もうぜったいにせんそうなんかおこってほしく
ない。(3年男子)
・今日、お話を聞いてわたしはびっくりしました。
せんそうがこんなにこわいとは
思いませんでした。
 わたしははじめせんそうて、
どんなだろうと思っていました。
 わたしたちの生活は幸せと
いうことがよくわかりました。(3年女子)
・病いんでも、いま子どもがうまれるのに、
ばくだんを落としてくるから病いんをぬけ
だして草むらでおかあさんが子どもをうんで
かわいそうでした。もう、せんそうなんておこら
ないでほしいです。今のままで平和がつづいて
ほしいです。(3年女子)
・ぼくは話を聞いて、食べ物がなくてかわいそうだな、
自分の家がもえているのをみて
かなしそうだなぁとおもいました。
 ぼくはせんそうのときにうまれてない
ですごくうれしいなぁとおもっています。もしぼくが
せんそうにまきこまれていたら、ぼくは少し
おくびょうだからおびえていると思います。
 ぼくはせんそうというものをつくったひと
をうらんでいます。一生せんそうがおこって
ほしくないと思います。(3年男子)
・せんそうはいつおこるがわかりません。
せんそうは国と国とがたたかいます。もし、
日本も中国もほかの国もアメリカにやられたら
地球ぜんぶの国がアメリカになるのですか。
せんそうはこんなにこわいとはしりませんでした。
(3年男子)

4年生
・わたしは大阪が大空しゅうをうけたことははじめて知りました。
 今、大阪にばくだんがいっぱい落ちてきたらこわいなぁ。
戦争も起きず、ずっと平和でいてほしいなぁって思いました。(4年女子)
・町中が火事になって焼け死んでいく人間。毒を入れた肉を食べさせ
られて死んでいく動物たち。あ−かわいそう。空しゅうで病院から逃げて
草むらで赤ちゃんを生んで墓場へ逃げた。つらかったやろうな。一日おにぎり
一こなんてかわいそう。わたしならぜったいつまみぐいをすると思う。
(食べ物があれば・・・)    
戦争の時代と今の時代。 やっぱり子どもにとっては平和な時代がいい。
わたしたちは平和な時代にうまれてよかった。
 でも、いつかは日本も戦争に入りそう。
戦争はもう二度としたくない。(4年女子)
・竹村先生の話を聞いて、ごはんや食べ物をそまつにしてはいけないと
けっしんしました。やさいでもくだものでもしっかり
ぜんぶたべなければ昔の人々にしつれいだと思った。
昔の人々は食べれるものならなんでも食べたのに、今の人々はきらいな
ものがあれば食べのこしをしてしまう人がふえてきたから
もっともっとすききらいをなくすようにすればいい。(4年男子)
・このまえ、おじいちゃんが死にました。
戦争でたくさんの人が死んだ中で竹村さんは生きていてよかったですね。
 小さい子どもの時に、戦争を自分でたいけんしてすごく悲しいと思います。
 また会ったら戦争の話をしてください。みんなも、もう戦争なんてして
ほしくないと思っているでしょう。(4年男子)
・せんそうで死んだ人が、こんなにすごく多いとは思いませんでした。
 そんなに人が死んで日本はよく生き残れたと思う。もしわたしが
こんなけいけんをしたら、わたしは泣いてしまう。
 それなのに、昔の人はつよいな−と思いました。
 えいぞうを見るだけで、こわいイメージがわいてきて、とってもこわかった。
 「ちいちゃんのかげおくり」という本を3年生のころ見て、
ちいちゃんは「ほしいい」というたべものをたべたといっていた。
 ほしいいはおいもをほしたやつと思っていました。
でもそれはごはんをほしたやつやなとしりました。
 4年生ではこげたごはんのことを知りました。(4年女子)    
  
ちいさなおにぎり一日一こでわたしは生きられないと思いました。
でもみんな生きていたんだからすごいと思いました。(4年女子)
なんでせんそうがあるのかしりたい。なんでかんけいのない人
やなにもしていない人をまきこんでしまうのかしりたい。(4年男子)
・いちばんこわかったのは、竹村さんがねている時に「ウ−−−」
というサイレンがなって、ぼうくうごうに中に入っていたら、
となりのおじさんが「そんなところに入っていたらヤバイで。
早く外に出た方がいい。」というところです。(4年男子)
・なんでにんげんがにんげんをころすのだろう。
ぼくは、せんそうでいきのこった人はとてもすごいとおもう。
でもころされた人はとてもかなしいとおもう。
ぼくはせんそうでころす人はとてもひどいとおもいました。(4年男子)
・今日のお話でせんそうはすごくこわいものなんだなぁということを
心にしみて思いました。せんそうは1つのばくだんで何千人、
何万人の人の命がうばわれ、家や店まで焼きつくしていく
おそろしいばくだんがかんたんに飛行機からおとされてくる。
 そんなばくだんが大阪にも落とされていたなんて。
 人間だけでなく、小さな動物や虫なども命があることを
わかっているのに。命1つだってかみさまがくれたたいせつな命です。
 
 その命を1つでもむだにしないように、
せんそうはおこさないでほしいです。
 わたしは、このまま平和がつづいてくれるといいなぁと思いました。
日本全体だけでなく、世界全体が平和でありますように。(4年女子)
・私は、死体がたくさんある所のシーンが残こくでした。
無差別にだれもかも殺すなんてあまりにもかわいそうです。
 最初は、もめたものどおしが戦争していると思って
いるかも知れないけれど、関係のない他の人にもじゅうぶんめいわくがかかって
いることを知らないのかもしれない。
ただ、あるひとつのもめごとで世界がゆれうごくなんて・・・あまりにも残こくです。
 これからも2003年2004年・・・・
と時が過ぎても戦争は二度とおこさないでほしいです。(4年女子)
・わたしは竹村先生が「人間はえらいのか、あほなのか。」
と言っていたことばを一番おぼえています。
 わたしはよく図書室で戦争の本を読んでいました。
でもアメリカでテロじけんがおこってから、あまり読まなくなりました。
 そのころ、わたしは「戦争してなにかいいことはあるのか?
人をころしていいことはあるの?」と思いました。
「戦争がなかったら世界が平和になるのになぜ戦争をするの?」
と思っています。本当に戦争がなくなってほしいです。
世界が平和になってほしいです。(4年女子)
  わたしは3.4才の子どもが、 炎の中をあるくのは、こわいとおもいます。
  ばくだんがおちてきているのに、あるくのはこわいです。
  夏はあついのに、わたのはいったぼうくうずきんをかぶって
あるくのはこわいし、あついです。
  一日おにぎりひとつしかたべられなかったら、まい日おなかがへる
とおもいます。
  やけた人が足をつかんで
  「ぼ・・・く・・・水を・・・くれ・・・水・・・をく・・・れ」
  と言って、すいとうをわたして
  水をのみながら目の前でしんでいったのはこわいです。

  せんそうは、もうにどとおこってほしくないです。  (4年女子)

 

子どもたちの
真剣な聞き取りに
あらためて思う
 小学校3.4年生はわずか9才か10才の子どもたちです。
 生活経験も、成人と比べて本当にまだわずかです。人間
が想像できるのは自分の生活体験の範囲内と思うと、この子
たちが戦時中の過酷な状況を感じ取ることは容易ではありま
せん。
 でも、精一杯「平和な世界」のつづくことを願っています。
 経験豊かな大人からとらえると、見当はずれや世の中の流れは
もっと複雑なんだ。
そんな甘い考えでいいのかと思ってしまいがちですが、この純粋な
心が失われていくことこそ、こわいものだと思います。
 感性でとらえる子どもたちの感覚で戦争や平和を感じ取って
いるのです。逆にいうと大人になったら失われてしまう子どもの
感性でとらえているのです。
 大人は、むしろ子どもたちの感じ方からも学ぶものがあると思
います。戦争を起こすのはやはり大人です。
 戦争のメカニズムや、国の概念をとらえさせるには、もっと年齢
をかさねる必要があります。
 今の平和は、過去の多くの人たちのがんばりや尊い犠牲の上
になりたっていることも、もっと語らなければなりません。
また、平和は、なにもしないで維持できるものではないということ
も・・・
 原稿用紙に書かれた、まちがいだらけの文章や、ねじれた
文章、意味の読みとりにくい文章・・・いろいろ個性のある文面
も、キーボードでこのように打ってしまうとそんな雰囲気は伝わ
りません。
 それに抜粋して直したりしたので、子どもたちには申し訳ない
とも思っています。
 しかし、これらの子どもたちの感想から、9才から10才の発達
段階の子どもたちの強い平和への願いを感じ取っていただけれ
ば幸いです。
                            2002年8月
                  2006年11月一部修正

  

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